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難波宮跡、大阪歴史博物館、ウメサオタダオ展 [旅行]

5日目。朝から雨。台風が近づいており、午後から雨が強くなった。

直前まで適塾と迷っていたが、二転三転後、大阪歴史博物館へ。開館時間まですぐそばの難波宮跡を見る。こんなものが大阪のど真ん中に残されていることなど、前日まで知らなかった。大化の改新後に孝徳天皇が遷都した前期と、聖武天皇が副都と定めた後期のそれぞれの遺構が発見されている。復元されている大極殿の基壇は後期のもの、その西側に復原されている八角殿院は前期のもの。難波宮跡から道路をはさんで北側の大阪城との間に挟まれた敷地には、ビルがひとつだけぽつんと残されている以外は空き地になっている。以前のNHKの建物があった場所らしい。発掘の計画でもあるのかと期待してしまう。

歴史博物館の前には、敷地内で発掘された5世紀の倉庫の建物が復原されていた。百舌鳥や古市の古墳群の時代のものとのこと。5世紀が大阪の時代だったことを思い出す。10階の古代のフロアでは、大極殿の様子を原寸大に復元したスペースがあり、解説のスクリーン映像が終わると窓の外に実際の難波宮跡が見えるという仕掛けになっていた。見せ方がうまいと思った。大阪城もよく見え、返す返すも写真を撮れないのが残念だった。展示も十分に見ごたえがあり、古代のフロアだけで1時間。全館を見終わるのに昼食をはさんで12時過ぎまでかかった。

雨が強くなる中を国立民族学博物館に向かう。大学4年の時以来だから24年ぶり。目的のウメサオタダオ展は2フロアもあった。1階が8つのテーマ毎の展示で、フィールドノートや氏の代名詞でもあるカードによる情報整理やコザネ法の実際も展示されていた。記録を細かく残す習慣は、ダ=ヴィンチに倣ったとのこと。2階では年譜が壁一面に貼られており、氏の年ごとの活動を追うことができるようになっていた。41歳で「日本人の知恵」、47歳で「文明の生態史観」、49歳で「知的生産の技術」をそれぞれ発表している。未発表に終わったという「未来の歴史」(だったかな?)の草稿が興味深かった。ちょうど上映されていた小長谷有紀氏による解説ツアーのビデオを見たが、とてもわかりやすかった。他の人もほとんど席を立つことなく見入っていた。著書の展示もあり。恥ずかしながらほとんど読んでいないので、読もうと思った。自伝的なものは「行為と妄想 わたしの履歴書」「裏がえしの自伝」がある。氏の活動をこれだけの規模で見ることができるのは、この機会だけだろう。来てよかった。

ウメサオタダオ展
氏の代名詞と言えるカード式。近接撮影にもかかわらずピンボケ

常設展を見る時間は1時間半しか残らなかったので、全体をざっと見まわすだけにした。改めて展示の数の多さに驚いた。1日かけても見切れないだろう。近くに住んで、会員になって通わないと絶対に見切れないと思う。

適塾に行けなかったのは残念だったが、大阪歴史博物館は期待以上によかったし、ウメサオタダオ展も見ごたえがあった。雨の中、足を運んだ甲斐があった。
<帰宅後に読んだ本>

知的生産の技術 (岩波新書)
梅棹 忠夫
岩波書店 ( 1969-07-21 )
ISBN: 9784004150930


文明の生態史観 (中公文庫 M 98)
梅棹 忠夫
中央公論新社 ( 1974-09-10 )
ISBN: 9784122001350


行為と妄想―わたしの履歴書
梅棹 忠夫
日本経済新聞社 ( 1997-06 )
ISBN: 9784532162207


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